保身のためなら、妻を傷つけてもいい

夫との約束は、もう意味がないとわかっている。

 

なぜなら、

約束を約束と思っていないので、
やると言ったことをやらないし、
やらないと言ったことをやるからだ。

 

今まで私が「約束」だと思っていたことも、
夫にとっては「約束」という認識ではなかったらしい。

 

夫にとって、唯一の約束は
「何があっても、つくしさんと一緒にいること」
だと言った。

 

その瞬間は「なんて素敵なことを言うんだろう」と思ったが、
そのほんの数か月後には、

「離婚したい」

と、簡単に言ってのける。

 

(本人が認識していた)唯一の約束でさえ、
簡単に覆してしまう。

 

これだけ約束を何度も破られ続けて、「約束」には何の意味もないと、
わからないバカがどこにいるんだろうか。

 

でも夫は、私がその「バカ」だと思っている。
私がまだ、「約束には効力がある」と思っているはずだと
思い込んでいる。

 

そして、

「出来ない約束はしてはいけない」

ということに異様に囚われている。

 

もちろん、意味としては正しいことだ。
約束しても守れないなら、最初から約束しなければいい。

 

でもね。
でもね。

 

曲がりなりにも、私たちはまだ、夫婦だ。


それなのに、

「一生一緒にいるとは約束できない」

なんて、改めて言葉にされたら、とても傷つく。

 

約束なんてできない、
約束なんて意味がない、
そんなことは、わかっている。

でも、言ってしまったらおしまいじゃない。

 

簡単に「別れよう」「離婚したい」と言い、
平気で家出する。

 

そんな人と、一生一緒にいられるか?なんて
想像も出来ない。

 

けど、それでも、穏やかな日々が1日でも長く続くよう、
私なりの努力を続けている。

 

努力はしているけど、未来にはあまり希望がない。
いつ、夫が、私に対して完全シャットアウトをするのか、
そんなものはわからないからだ。

 

人の気持ちがわからない(想像できない)から、
知らないうちに人を傷つけてしまう、
というのはASDの代表的な特性。

 

でも夫の場合は、
「約束できない」と言ったら私が傷つくことは
わかっていたそうだ。

 

私を傷つけるとわかっていて、言った。
自分を守るために。
自分を守ることのほうが、大事だったから。

 

夫が、身近な人の死に直面して、
人生観が変わったらしく、

 

「つくしさんが死ぬときにはそばにいたいし、
僕が死ぬときにはつくしさんにそばにいて欲しい」

 

なんて、これまた素敵なことを言ってくれた。

 

でも。

 

「僕の願望=つくしさんとの約束」

と思われてしまったら大変!!!!
これは約束じゃないんだ!!!
あくまでも、僕の希望なんだ!!!

 

ってことを、何がなんでも守りたかったらしい。

 

だから、「約束は出来ない」と
ご丁寧に2回も繰り返して私に伝えてくれた。

 

その直前に、私自身の言葉で、
「約束なんてなんの意味もない」
ということを伝えているにも関わらず、だ。

 

私が言うことなんて、聞いていない。


夫に「つくしさんは約束を信じている」
という思い込みがある限り、
私の言葉なんて届かないのだ。

 

すべてにおいて、そう。

 

夫が「こう!」と思い込んでいることは、
どんな事実を見せても、
どんな説明をしても、
変わることはない。届かない。響かない。

 

ただただひたすらに、自分の世界を生きる人なんだ。