結婚なんて、嫌ならいつでもやめればいい

 「(結婚なんて)嫌ならいつでもやめればいい、
と思ったら気が楽になった」

 

これも夫のセリフである。
大の男がよくそんなこと言えるな。。。。

 

まあ、そう思うのは勝手だが、
わざわざそれを、私に言うところが何というか。。。。

 

「何があってもつくしさんとずっと一緒にいる!」

 

と豪語した夫であるが、
一生一緒にいる覚悟など、あろうはずがない。
単なる、一時の感情だ。

 

「一生一緒にいる」
というのは、夫にとってはものすごいプレッシャーなのだろう。

 

もう、わかったよ。
わかってるんだよ、私は。

 

だから、わざわざそんな悲しいことを、
私に言わないで欲しい。

 

先日の「(一生一緒にいるとは)約束できない」
っていうのも、同じ。

 

私は、わかっている。
でも、わざわざ言わないで欲しい。

 

そのことについても、
「わざわざ改めて言われるとかなり傷つくから、
もう言わないでね」
と伝えたが、意味が理解できなかったらしい。

 

一応、説明はして、「わかった」とは言っていたが、
本当にわかっているかは怪しい。

 

だって、昼間に「僕が死ぬときはつくしさんにそばにいて欲しいし
つくしさんが死ぬときは僕がそばにいたい」
という素敵なセリフを吐いていたくせに、

 

その日の晩には
「やっぱり別れたほうがいいんじゃないか」
「僕がつくしさんだったら、絶対に別れる選択をする」
などと言うのだ。

 

「そんなに嫌な思いをしてまで、
僕と一緒にいようと思えることが、
どうしても理解できない」と言う。

 

そのことも、もう何度も話した。
「何度も話した」ことも、忘れている。

 

きっと、夫の感覚と私の感覚があまりにも違うので、
理解が出来ず、理解が出来ないから、
話そのものも記憶に残せないのだろう。

 

夫は「一生一緒にいる」というプレッシャーから解放されたいがために、
「嫌ならいつでも辞めればいい」
と思っている。そうやって自分の身を守っている。

 

どうぞ、それはご自由に。
でも、何度も言うけど、わざわざそれを私に言わないで。

 

でも、それも伝えても同じだろうな。
「約束できない」と言われることで傷つくことすら
(おそらく)理解できていないから。

 

「嫌ならいつでも辞めればいい」
「嫌ならいつでも辞めればいい」

 

心に、残ってしまう。