離婚騒動→家庭内別居→人生ってイロイロ

前回の投稿から1年も経っているとは。。。。

この1年もまた、激動だった。

 

去年の秋にとある事件があって、離婚騒動に。

いったん持ち直したものの、また2ヶ月前にも離婚騒動になり、家庭内別居状態となった。

 

私が離婚したくても夫は承諾せず、話し合いも成立せず、

自分を殺して生きていくしかないのかと、もう、人生に絶望していた。

仕事も忙しすぎてあまり休めず、いったい、何のために生きているのかわからなくなった。

 

その後、なぜか、「自分を疑う」という機会が増えた。

もしかして、私に問題があるのかも?と。

 

そこから少しずつ、ギチギチに絡まって固まっていた糸のかたまりが、ほんの少し、ゆるんできているような感じがある。

 

少しずつ、人生が良い方向に向きつつあるように思う。

色々な本を読んでいるので、気づいたこと・学んだことを記録していこうと思う。

 

 

結婚なんて、嫌ならいつでもやめればいい

 「(結婚なんて)嫌ならいつでもやめればいい、
と思ったら気が楽になった」

 

これも夫のセリフである。
大の男がよくそんなこと言えるな。。。。

 

まあ、そう思うのは勝手だが、
わざわざそれを、私に言うところが何というか。。。。

 

「何があってもつくしさんとずっと一緒にいる!」

 

と豪語した夫であるが、
一生一緒にいる覚悟など、あろうはずがない。
単なる、一時の感情だ。

 

「一生一緒にいる」
というのは、夫にとってはものすごいプレッシャーなのだろう。

 

もう、わかったよ。
わかってるんだよ、私は。

 

だから、わざわざそんな悲しいことを、
私に言わないで欲しい。

 

先日の「(一生一緒にいるとは)約束できない」
っていうのも、同じ。

 

私は、わかっている。
でも、わざわざ言わないで欲しい。

 

そのことについても、
「わざわざ改めて言われるとかなり傷つくから、
もう言わないでね」
と伝えたが、意味が理解できなかったらしい。

 

一応、説明はして、「わかった」とは言っていたが、
本当にわかっているかは怪しい。

 

だって、昼間に「僕が死ぬときはつくしさんにそばにいて欲しいし
つくしさんが死ぬときは僕がそばにいたい」
という素敵なセリフを吐いていたくせに、

 

その日の晩には
「やっぱり別れたほうがいいんじゃないか」
「僕がつくしさんだったら、絶対に別れる選択をする」
などと言うのだ。

 

「そんなに嫌な思いをしてまで、
僕と一緒にいようと思えることが、
どうしても理解できない」と言う。

 

そのことも、もう何度も話した。
「何度も話した」ことも、忘れている。

 

きっと、夫の感覚と私の感覚があまりにも違うので、
理解が出来ず、理解が出来ないから、
話そのものも記憶に残せないのだろう。

 

夫は「一生一緒にいる」というプレッシャーから解放されたいがために、
「嫌ならいつでも辞めればいい」
と思っている。そうやって自分の身を守っている。

 

どうぞ、それはご自由に。
でも、何度も言うけど、わざわざそれを私に言わないで。

 

でも、それも伝えても同じだろうな。
「約束できない」と言われることで傷つくことすら
(おそらく)理解できていないから。

 

「嫌ならいつでも辞めればいい」
「嫌ならいつでも辞めればいい」

 

心に、残ってしまう。

ギリギリのバランス

夫がASDだとわかった時は、
それまでの謎の行動の理由がわかってほっとした。

 

それからASDの本を読むようになり、
少しずつ、ASD特性への対処の仕方を学ぶようになった。

 

たしかに、勉強にはなる。
試してみよう、という気になることもある。

 

けど。。。。

 

正直、
「もう一回子育てやるの?大人なのに??子育てやっと終わったのに??しかも一生!!!」

 

なんていう、人様が聞いたら「ひどい!!」と責められても仕方のないことを、思ってしまう。

 

障害なんだから、寄り添いなさい。
障害なんだから、受け止めなさい。
障害なんだから、支えなさい。

 

私だって、寄り添って欲しい。
受け止めて欲しい。
支えて欲しい。

 

私にはそれが、叶わない。
でも私は、それをしなければならない。
夫と生きていくならば。

 

きっと、夫以外の人(環境)で、
私に寄り添ってくれる人
私を受け止めてくれる人
私を支えてくれる人
を探すべきなんだろう。

 

自助会なんかも調べたけど、
今ひとつ参加する勇気が出ない。

 

カウンセラーも探しているが、

ASDに理解がありそう、と思える人がまだいない。

 

結婚前には、ASDだとわからなかった。
(そもそもASDのことを知らなかった)

 

結婚してから障害だとわかって、
その障害をすべて受け入れて、自分の中で折り合いをつけて
うまくやっていけるのか。

 

カサンドラ妻たちの体験談も読んだ。
色んな選択肢があることもわかった。

 

それでもまだ、私は夫と一緒にいることを選んでいる。

 

夫と一緒にいることで、
はらわた煮えくりかえるような怒りや、
悲しさ、虚しさ、寂しさ、無力感、絶望、など、
今まで味わったことのないような感情に襲われることがある。

 

でも、笑って楽しく穏やかに過ごせる日々もある。
いっときのこと、とわかっていても、幸せを感じることもある。

 

まだ、ギリギリのところで、バランスを取っているのかもしれない。

保身のためなら、妻を傷つけてもいい

夫との約束は、もう意味がないとわかっている。

 

なぜなら、

約束を約束と思っていないので、
やると言ったことをやらないし、
やらないと言ったことをやるからだ。

 

今まで私が「約束」だと思っていたことも、
夫にとっては「約束」という認識ではなかったらしい。

 

夫にとって、唯一の約束は
「何があっても、つくしさんと一緒にいること」
だと言った。

 

その瞬間は「なんて素敵なことを言うんだろう」と思ったが、
そのほんの数か月後には、

「離婚したい」

と、簡単に言ってのける。

 

(本人が認識していた)唯一の約束でさえ、
簡単に覆してしまう。

 

これだけ約束を何度も破られ続けて、「約束」には何の意味もないと、
わからないバカがどこにいるんだろうか。

 

でも夫は、私がその「バカ」だと思っている。
私がまだ、「約束には効力がある」と思っているはずだと
思い込んでいる。

 

そして、

「出来ない約束はしてはいけない」

ということに異様に囚われている。

 

もちろん、意味としては正しいことだ。
約束しても守れないなら、最初から約束しなければいい。

 

でもね。
でもね。

 

曲がりなりにも、私たちはまだ、夫婦だ。


それなのに、

「一生一緒にいるとは約束できない」

なんて、改めて言葉にされたら、とても傷つく。

 

約束なんてできない、
約束なんて意味がない、
そんなことは、わかっている。

でも、言ってしまったらおしまいじゃない。

 

簡単に「別れよう」「離婚したい」と言い、
平気で家出する。

 

そんな人と、一生一緒にいられるか?なんて
想像も出来ない。

 

けど、それでも、穏やかな日々が1日でも長く続くよう、
私なりの努力を続けている。

 

努力はしているけど、未来にはあまり希望がない。
いつ、夫が、私に対して完全シャットアウトをするのか、
そんなものはわからないからだ。

 

人の気持ちがわからない(想像できない)から、
知らないうちに人を傷つけてしまう、
というのはASDの代表的な特性。

 

でも夫の場合は、
「約束できない」と言ったら私が傷つくことは
わかっていたそうだ。

 

私を傷つけるとわかっていて、言った。
自分を守るために。
自分を守ることのほうが、大事だったから。

 

夫が、身近な人の死に直面して、
人生観が変わったらしく、

 

「つくしさんが死ぬときにはそばにいたいし、
僕が死ぬときにはつくしさんにそばにいて欲しい」

 

なんて、これまた素敵なことを言ってくれた。

 

でも。

 

「僕の願望=つくしさんとの約束」

と思われてしまったら大変!!!!
これは約束じゃないんだ!!!
あくまでも、僕の希望なんだ!!!

 

ってことを、何がなんでも守りたかったらしい。

 

だから、「約束は出来ない」と
ご丁寧に2回も繰り返して私に伝えてくれた。

 

その直前に、私自身の言葉で、
「約束なんてなんの意味もない」
ということを伝えているにも関わらず、だ。

 

私が言うことなんて、聞いていない。


夫に「つくしさんは約束を信じている」
という思い込みがある限り、
私の言葉なんて届かないのだ。

 

すべてにおいて、そう。

 

夫が「こう!」と思い込んでいることは、
どんな事実を見せても、
どんな説明をしても、
変わることはない。届かない。響かない。

 

ただただひたすらに、自分の世界を生きる人なんだ。

約束できない夫

「約束できなくてごめん」

昨年入籍した、私の夫の言葉である。

 

少し補足すると、
「つくしさんと一生一緒にいる、という約束が出来なくてごめん。」
ということ。

一生一緒に居たくて結婚したのではないのか。

 

あなたが私に言った、

「僕がつくしさんとした約束はひとつだけ。
何があってもつくしさんと一緒にいる、ということ」

 

という、歯が浮きそうなセリフにズキュン!としてしまった
私の心の行き場はどうなるんだ。

 

そう、でも、べつに、こんなの今に始まったことじゃない。

夫は、

・自分が言ったことを都合良く忘れる
・言ったことに責任を持たない
・言っていないことも言ったことになる

 

言ったとか言わないとか、事実がなんであろうと、
夫にとっての正解は、
「その瞬間の夫の脳みそが考えたこと」
なのだ。

 

数分前に違うことを言っていたって、
悪びれることもなく、本気で、
全然別の主張をする。

 

聞いているほうは、「は?さっき言ったことと矛盾してますけど?」
みたいな反応をしてしまうが、
本人にとっては「今言ったこと」が正解なので、
「数分前に言ったこと」なんて、認めない。
「僕はそんなことは言ってない」と本気で思っているらしい。

 

ほんの数分前の自分が言ったことを認められないのに、
数日前・数か月前の自分なんて、別の惑星の赤の他人の出来事
というくらい、興味も関心もないので、
まさか自分ごととしての認識なんて持てないのである。

 

「おじいちゃん、おばあちゃんになっても
いつまでも仲良しの夫婦でいようね」

な~んて言って結婚したけど。

 

ほんの数日前にセックスについて真剣に話し合い、
より良い性生活が送れるよう努力しようと話したことや、

 

夫の親友に私をぜひ会わせたいと、食事会を企画したりしていたのに、
元旦のめでたいときに「離婚したい」と言えるような人だ。

 

「1分ごとに生まれ変わっている」

と思ったほうがいいのかもしれない。


夫が認識したものだけが、夫の歴史なのである。
私から見ていた夫、私との関わりの中での夫は、
存在していないのだろう。

 

時系列で流れを説明しても、
過去の自分を自分として認識しないので、
私のほうがおかしなことを言っていると思っている。きっと。

 

もう、だいぶ慣れてきたつもりでいたけど、
「約束できなくてごめん」なんて言われると、
やっぱり切ない。